精神世界に興味のある人なら
聞いたことのある名前でしょう。
ブッダというお方
ブッダは【 仏陀 】と書かれるようになり
目覚めた者を意味し、悟りを得た人を指す言葉です。
このブッダは別の名を
『 お釈迦様 』と呼ばれています。
お釈迦様というと幅広く
いろんな方に知られているかと思います。
お釈迦様は
仏教の開祖でインドに実在した人物です。
このブッダさんには沢山の叡智が備わっており
本当に学ばせていただくことが多いのです。
昔、手塚治虫さんのアニメを見て
深く感動したのを覚えています。
今回のお話もそう***
数え切れない叡智の中から
私がもっと早くに知りたかったと想ったこと
今日はお話致しますね❣
人は自分が辛かったこと傷づいたことを
他者に話す事によって心の傷を癒せるのではないか
と思ってしまいます
過去の私もそうでした。
過去というか、この説法を
知るまでは…だったかもしれません。
自分のつらかったこと、心深く傷ついたことを
他者に話す事で自分自身が抱えていた錘のようなものが
少しは軽くなるのではないかという考えから
辛い時はよく友人に話を聞いてもらったものです。
確かに話している内に心が軽くなっていくのを
感じました。
けれどブッダは言います
「 痛みを語ることは一瞬の安堵を与えてくれるかもしれないが
それは本当に傷を癒す方法ではないのだ 」
私はハッとしました。
本当にその通り
心の片隅でそれを感じていた自分がいたのです。
話を聞いてもらっているその瞬間は
心が軽くなるような気がしていますが
ひとりになり、日々が過ぎゆく中で
また同じような記憶が蘇り苦しくなるのです。
ブッダは言います
「 例えば深い傷を負った時に傷口に絶えず触れたり
他の人に見せたりすれば治りは遅くなる 」
「 心の傷も同じで語れば語るほど
その痛みは深まることもあるのだ 」
全く持って過去の自分を振り返ってみれば
その通りなのです。
誰かに話すことで心が軽くなると信じ込んでいた私には
なんとなくは感じていたものの
改めて気付かされたお話です。
しかし考えてみれば、いつもそのネガティブにフォーカス
していることになりますし、何よりその辛かった話を
友人に聞いてもらってはいるけれど
その辛かった内容の『言葉』を再び聴いている自分がいる…
これでは負の堂々巡り
ずっとその傷ついている過去に縛られることになります。
私は想いました。
ではこの痛みを消化するには
どうしたらいいのでしょう?
ブッダは言います
「 自分の痛みを他者に告げ続けるのではなく
内に静かに受け入れることで再び強く立ち上がることが出来る 」
確かに痛みを他者に語ることで
一時的な慰めを得ることはできます。
けれど根本的な癒しは内側から生まれるものであることに
気づかされました。
学びを得て新たな決意を固めた私ですが
それでも過去の出来事を忘れることがとても難しいと
感じてしまうことがあります。
そんな時でも
ブッダは言うのです
「忘れるのではなく、受け入れるのだ」
「過去の出来事は消すことはできない
しかしその出来事を他者に語ることで
心の痛みを外側に向けるのではなく
内側で静かに受け止め過去に縛られずに生きることが大切だ」
あ〜ブッダさん
有り難うございます
だいぶ遅かったかもしれませんが
この叡智に改めて気づかされたことで
私は再び強く立ち上がれそうです✨
そんなみっこ🌼のお話です。
「すべてを言葉で語らなくていい」
なんか今は亡き俳優の高倉健さんを思い出したw
あくまでもシリアスになりきれない
みっこ🌼でございました
本日も私のブログをお読みくださり
ありがとうございます
感謝 感謝